犀川と浅野川の二つ流れを両の手の方向に石引の道は坂と共に生き続けている。
加賀藩の優れた土木技術を誇る辰巳用水の流れと、東側斜面を源太郎川・西側斜面には勘太郎川の流れが落ちてゆく静かな営みと共に、多くの坂の歴史を感じる事が出来る。
亀坂(がめざか):加賀藩初期はこの付近は深い谷であったが戸室石を運ぶため埋めて次第に勾配を緩くしたといわれる。瓶の底のように谷が深かったから「がめ坂」と呼ばれたとの説もある。
白山坂:藩政時代、波着寺の横を上り下りした坂で、波着寺の山号が白山であるところから白山坂と呼ばれた。
尻垂坂:昔、尻谷・修理谷・汁たに窓と呼ばれたようです。きこりなどが歩んだ険しい坂道で、いつも水がしみ出ていたので、汁たれ坂といったとも言われています。
善光寺坂・天神坂・二十人坂・嫁坂・馬坂・牛坂・木曽坂・新坂・大乗寺坂・八坂など多くの坂があります。
石引周辺には、金沢の名の起こりとなった金城霊沢横の金沢神社をはじめとして、多くの寺院・神社がある。
初代利家が建立した「宝円寺」、三代利常の正室「珠姫」の菩提寺「天徳院」、三代利常夫人天徳院の命により徳川家康の位牌所となった「如来寺」、加賀騒動の「真如院」の墓がある「経王寺」等の他仰西寺・慶恩寺・棟岳寺・鶴林寺などの寺院や石浦神社・椿原天満宮・石川護国神社などの歴史と共に歩んだ風情を感じることが出来る。
明治期の旧制中学校木造建築として原形のまま保存されている全国的にも数少ない、旧制第二中学校三尖塔校舎を使用して、明治・大正・昭和の人々の暮らしの道具などを展示している。
旧ウイン館はアメリカの宣教師トーマスGウインが自邸として建設したもので、北陸学院第二幼稚園園舎として使用されている。
現在の国立医療センター土塀は加賀藩筆頭家老奥村家の屋敷跡の土塀である。
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